魯粛について勝手に考察

魯粛ってどんな人?

魯粛とは中国の三国時代(西暦200~300年くらい)の呉という国の武将です。知ってる人にとっては有名な人物ですので、詳しい説明はwikpediaや呉書を紐解いたページを参考にしてください。ここでは、こういったページを参考に、自分の中で培っている魯粛像を紹介します。

性格

魯粛の性格といえば、やはりその破天荒な性格でしょう。いろいろなエピソードに事欠きません。

  • 富豪の坊ちゃんとして生まれたのに、乱世を見越して教練・散在などやくざな遊びをし、周囲を嘆かせる。
  • 見ず知らずの周瑜に食糧援助を頼まれたとき、貯蓄の半分をポイとあげ、周囲を嘆かせる。
  • 初めて孫権と対談したとき、漢の皇帝が(曹操の傀儡とはいえ)健在だったにもかかわらず、「皇帝になれ」と答え、周囲を嘆かせる。
  • 赤壁の戦いの前、呉が交戦・降伏論で揉めているとき、当時まだ発言権がなかった魯粛は、孫権がトイレに立った時にあとを追いかけて発言し、周囲を嘆かせる
  • しかも、「(自分は富豪だからいいけど)孫権様は家柄が悪いので、降伏したら碌なことにならない」と脅し、周囲を嘆かせる。
  • 赤壁の戦いの後、孫権から活躍をねぎらわれると、「それより早く皇帝になれ」と発言し、周囲を嘆かせる。
  • 曹操に対抗するため、劉備を傀儡とすべしという周瑜案を退け、梟雄に荊州という土地を与え、周囲を嘆かせる。
  • 劉備は(やはり)その後荊州を返さなかったが、統治者の関羽と対談し、(劉備以外の言うことは一切聞かない)関羽を説得し荊州の半分を返還させ、周囲を嘆かせる。

業績

魯粛の業績は以下2つが主で、それほど目立つものではないかもしれませんが、戦略レベルで呉の天下統一を狙ったことに意義があると思ってます。

  1. 劉備との同盟
  2. 荊州の割譲

当時、赤壁の戦いで大敗したとはいえ、曹操がまだまだ大勢力を築いており、曹操の非支配地域をすべて合わせても互角には程遠い状態でした。さらに呉は異民族の相手に苦心していて兵を向ける余裕があまりないし、そもそも、なんというか、攻撃の戦いで成果の出せる将軍が、(辛うじて呂蒙がいたとはいえ)孫策・周瑜亡き後おらず、1VS1で勝つ見込みはほとんどありませんでした。従って孫家単独で戦うよりも、(あまり信頼できないけど)劉備と組み、曹操に対抗するというのが一番現実的な案だったと思います。実際、劉備が漢中を得て、関羽が北上した際、呉も同調して北上していたら、孫策や周瑜生存ifよりも、曹操を打破していた可能性は高いと思います(もっとも、その後呉が天下をとれたかは別の話かもしれませんが)。惜しむらくは魯粛が長生きできなかったこと、魯粛死後合肥で張遼に叩きのめされ手痛い敗北を喫してしまったことで、結果、「天下よりも割拠」となり、荊州侵攻に至りました。

能力

光栄式項目で評価したいと思います。

統率力

周瑜亡き後呉の大国柱として最前線に駐屯し、兵を能く束ねたとありますので、呉では十分に高い水準にいたものと思います。劉備と戦わなかった理由が、「関羽に勝つ自信がないから」と取るか、「勝てるけど大局を考えたため」と取るかで評価が変わってきそうです。前者なら70台~、後者なら80台後半~の評価になるのではと思います。実戦経験が乏しいので90台はさすがに難しいか。

武力

剣術・武術・弓術を習い、剛毅な魯粛ですから並みの文官よりは上でしょう。ただし実戦経験が資料にありませんし、本人も剣で戦うことは好まなそう(弁で戦うタイプ)ですので、50台~60台くらいでしょうか。

知力

今まで見てきたように、先見の明があり、大胆で自由な発想ができ、その中から解を選ぶ決断力があり、さらに周りを説得させられる交渉力を持つ魯粛は、戦略家として三国志でもトップクラスの知力(90台~)を持つと思います。ただし、智謀で敵を破った実績はないので90台後半の評価は難しいかもしれません。

政治力

内政で特別な手腕を発揮した形跡はありませんが、劉備との外交では成果を残しています。特に(劉備が100%悪いとはいえ)、乱世において同盟を破棄することなく領土割譲を勝ち取ったことを考えると、外交だけでも90台の評価ができるのではないでしょうか。

魅力

周瑜との交友、諸葛亮との友誼、孫権との信頼関係を見ると、高いと言っていいでしょう。ただし、破天荒な発言が多く、張昭に嫌われたりいろいろな敵も作ったことと思います。人を引き付けるという意味では90台、人に好かれるという意味では80台、合わせて80台後半ってとこでしょうか。

総じて以下が自分の評価です。

  • 統率力:70台~80台後半
  • 武力:50台~60台
  • 知力:90台台
  • 政治力:90台
  • 魅力:80代後半

好きになったきっかけ

三国志演技と正史の違いを知ったのがきっかけ。全然別人ですよね。もし長生きし、孫・劉・関が協調して魏と戦っていたらどうなったか見ものです。



伴野朗『呉・三国志』全10巻セット (集英社文庫)

スポンサードリンク


スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA